第1章 「夕張太鼓」とは?
1)夕張太鼓とは?
皆さんは、夕張太鼓をご存じですか?正式名称は夕張太鼓保存会「竜花」。昭和45年に発足してから現在まで、北海道夕張市の伝統芸能として現在も市内外の色々なイベントで太鼓を披露している伝統芸能団体です。
夕張太鼓の創設者は、当時の夕張神社の宮司の本間大堯(ひろたか)氏。本間宮司は昭和40年代に入り、相次ぐ炭鉱閉山と炭鉱事故によって人口が減り、町や人々に活気が無くなってきた事を憂いで、なんとか「人々の心を奮い立たせよう」と地域の炭鉱マンに呼びかけて夕張太鼓を結成したのが夕張太鼓の始まりです。
現在の夕張太鼓を見ているかたにはちょっと意外かもしれませんが、夕張太鼓の始まりは「大人の太鼓」だったのです。しかも「炭鉱マンの打ち手による太鼓」だったのです。
2)本間宮司の考えた夕張太鼓
夕張神社の本間宮司が考えた「人々の心を奮い立たせるための太鼓」とはどのようなものだったのでしょうか。それを考えるには「夕張」と「炭鉱」というキーワードを少し掘り下げる必要がありますが、ここでは長くなるので別に書くこととします。
言うまでもありませんが「炭鉱」は重労働で危険が伴うたいへん過酷な仕事です。夕張はその「炭鉱」とともに発展してきた一蓮托生の町であります。「炭鉱」が無くなれば町も無くなるといっても過言ではないのです。
昭和40年代に入り炭鉱が斜陽化して町に活気が無くなってきたのが顕著でありました。本間宮司は、その町が活気を取り戻すためには、炭鉱で働く人々が勇気と誇りを持って仕事を行うことが一番大切な事だと考えたに違いありません。そのためには、炭鉱マンの雄姿を今一度、地域の人々に見てもらい、誇りを取り戻してもらうことこそが「人々の心を奮いたたせる」ことだと考えたのだと思います。
夕張太鼓は、その演奏の中に「坑内の轟音」、「危険」、「死」のイメージが表現されていると言われています。他の太鼓でみられる自然や豊作への感謝等を表現したり、のどかさや平穏さなどは曲中にはありません。そのかわりに、勇壮で活達、危険に身をもって挑む炭鉱(ヤマ)の男の力を「太鼓のバチさばき」で表現しているところに夕張太鼓の特徴があります。
本間宮司は「炭鉱と地域」、「炭鉱と生活」は一体のものであり、夕張という地で暮らす人々にとって、炭鉱の繁栄が全ての幸せに繋がることを太鼓で表現し、それを地域の皆さんに感じてもらいたいという強い思いがあったのでしょう。
3)夕張太鼓の魂「大太鼓」
夕張太鼓には、一本の木をくりぬいて作られた2尺5寸の「大太鼓」があります。それは大人数名でなければ持ちあがらないほど重く、どっしりと構えている太鼓です。その姿は、夕張太鼓の勇壮さを具現化しており、まさに夕張太鼓の魂と言えるものなのです。
夕張太鼓の魂である「大太鼓」は、創設時から夕張太鼓の中心にあり、時代が変わってもこの「大太鼓」は夕張太鼓とともにありました。
この「大太鼓」、当時は相当の金額を出さなければ購入できなかったと思います(現在の値段ならウン百万円以上はすると聞いたことがあります)。昔、この「大太鼓」は、北炭が購入してくれたと聞いたことがあります。もしそれが本当なら、夕張太鼓によって炭鉱マンが奮起し、炭鉱に活気が戻ることで一番嬉しいのは北炭のはずですから、ウン百万円の大太鼓は決して高いものではなかったのではないでしょうか。
話を大太鼓に戻します。夕張太鼓の曲はそのほとんどが「大太鼓」の音から始まります。曲の始まりだけでなく、曲の途中や最後にも「大太鼓」の音が入ります。「大太鼓」から繰り出される魂の音を先導に夕張太鼓が演奏されるのです。そうです。「大太鼓」は単なる曲のリードをとるだけのものでは無く、かつての炭鉱の町の再生を願う夕張神社の宮司の祈りと魂の叫びであり、夕張太鼓の原点なのです。
4)夕張太鼓の演奏スタイル・技法
前述したとおり、夕張太鼓は夕張神社の本間宮司が炭鉱マンを集めて、地域(炭鉱)の繁栄を願い、人々の心を奮い立たせるために創設した太鼓です。その太鼓演奏スタイルは、みんなで仲良く綺麗な音で...などというスタイルになるはずもなく、その演奏は炭鉱という坑内の情景の表現と、そこで働く炭鉱マンを表現することに主眼を置いたものであります。
夕張太鼓の紹介文には、「神楽太鼓の勇壮さ」を取り入れて夕張太鼓が創設されました。と書かれます。では、「神楽太鼓の勇壮さ」とはどのような事なのでしょう? 神楽太鼓をよく知らない私は勝手に解釈するしかないのですが、創設は夕張神社の本間宮司であるということを考えると、神事に係る太鼓の演奏の流れを基本として夕張太鼓ができたはずであり、少し短絡的ですが神事に係る太鼓と言えば神楽太鼓。本来、神楽太鼓といえば、笛、大拍子、長胴太鼓(宮太鼓や大太鼓)で囃子を奏でるのが基本ですが、そのうち、大太鼓や宮太鼓のみを取り入れて、「勇壮さ」を表現したかったのではないかと思われます。
5)続・夕張太鼓の演奏スタイル・技法
夕張太鼓の演奏方法は、他の太鼓団体の演奏と比較しても独特の技法であることが一目瞭然です。この技法は、本間宮司は太鼓演奏のプロではないため、本州の名立たる太鼓流派の影響を受けることなく、いかに人々を奮い立たせ、感動を与えるかに主眼を置いた「心に響く演奏」を目指し、全身全霊で太鼓と向き合う姿(=命をかけて坑内に入り仕事をする炭鉱の男の姿)を表現する技法となったのだと思われます。
洗練されたバチさばきや身のこなしではなく、不器用でも自分の仕事を黙々とこなしやり遂げる姿、暗い坑内でツルハシを振りかざし、剣先や角スコで石炭を掻きだし一心不乱に仕事をする。仕事をこなすための体の動きや使い方を表現した演奏スタイルなのです。
太鼓はバチさばきが綺麗に揃っていなくても演奏には支障はありませんが、音が乱れると耳障りな曲となり、聞きにくく、人に感動を与えることはできません。そこで、はじめに大太鼓で曲のリズムを作り、そして一節ごとに大太鼓が先に次のフレーズを叩くことにより、スムーズに演奏に入れるスタイルとしたのではないでしょうか。
6)続々・夕張太鼓の演奏スタイル・技法
夕張太鼓の演奏スタイル(いわゆる「クラシックスタイル」)は、大太鼓(2尺5寸)を中心に置きその前に宮太鼓(1尺5寸)を等間隔に4張配置し、6名で演奏するスタイルですが、これが当初からのスタイルであったかどうかは定かでありませんが、私はこれが本来の夕張太鼓スタイルだと思っています。
太鼓の演奏手法は曲ごとに違っているのは当然なのですが、共通していることは、どの曲も大太鼓から始まり、演奏中も大太鼓のリードによって曲が進められるのが夕張太鼓の特徴です。
また、坑内の地底の響きの表現や、鉱夫が石炭を掘り出す時の表現として、全力で太鼓を叩くことや、独特の「ため」や身体の使い方は、まさに前述したことを体現しているからなのです。
現在の夕張太鼓は、高校生以下の打ち手が中心なのですが、本来の夕張太鼓の演奏をするには、かなり身体を鍛えた大人でも表現が難しい太鼓であると思われます。小中学生のかわいく、見ていて微笑ましい太鼓も好きですが、もう一度「夕張太鼓クラシックスタイル」の大人が演奏する夕張太鼓の復活を願っております。
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